建築雑談

篠原一男の白の家 完成当時の古い写真  現在も移築されて建っています
篠原一男の白の家 完成当時の古い写真  現在も移築されて建っています

先日、ある建築家と飲みながら話をしていて、こんな話が出ました。

「よくあれだけ自分の思想通りの作品が続くね」(彼は、シリーズで作品を発表し続けていて、建築雑誌にも多くの作品が掲載されている人気建築家です)

「いや、そんな事はない。発表されていない作品は、全部主張が通らなかった作品だよ」

「なるほどねぇ」

 

100件以上の作品があっても、発表できる作品は十数件程度。後は、設計思想から外れているという訳です。

まぁ、確かにそうでしょう。私のような無名の建築家は来る者は拒まずが当り前ですが、有名な建築家になるとその件数は相当な量です。多くがスタッフで分担して設計しますが、その中の幾人かが施主と意見が合い、自ら担当し、作品として完成して行くわけです。もちろん、断る物件もかなりありますが。

 

仕事を選べる立場はうらやましい限りですが、毎月紙面を飾っている多くの建築作品も、実は彼らにとっては多くの作品の中の一つな訳です。しかもその作品の新鮮な姿を、雑誌社のカメラマンが時間を掛けてセッティングし、日常有り得べからずの姿で撮影されています。なんか、最高の瞬間を捕らえた風景写真に似ています。たいてい風景写真の方が、実物より美しかったりしますよね。

建築作品は、実物の中身を見ることが出来ません。当然人が住んでいますので。それが紙面上の評価と実物との違いです。トラブルが発生する事もあります。住みにくい、寒い、暑い、使いにくいなどなど。建築家がおごるとトラブルになるわけです。

 

それでも、歴史を飾る本当に優れた作品も数多く存在しています。住み心地も良く、快適な環境で、外観も周辺環境も良く、多くの人が実物を生の目で見て感動している。しかも、文化的価値としての意義も高く、歴史的評価もある。

もちろん日本にもたくさんあります。藤井厚二の「聴竹居」、吉村順三の「軽井沢山荘」、前川國雄の「自邸」などなど。特に篠原一男の「白の家」は、施主が解体するに忍びないと、移築してまで保存し続けています。

 

建築家の思想と施主の生活スタイル、環境、資金、土地など、多くの条件が揃ったときに生まれる数少ない芸術作品です。

でもこれらの名作も、施主の生活スタイルと合わないと、成立しません。だから、自邸が多いのかも・・・・・