住宅の話

ある図書館の自習コーナー  学校帰りの中高生が大勢いました 
ある図書館の自習コーナー  学校帰りの中高生が大勢いました 

住宅から客間が消え始めて、そろそろ60年になります。平安時代の昔から、住宅の最も重要な用途として位置づけられてきた接客空間は、戦争前後から家族中心の間取りに変わり始めています。そして、それと同時に居間という新しい部屋が誕生しました。決して茶の間の変形ではありません。アメリカから輸入されて突然現れた部屋です。実際、かなり長い間、居間の使い方は決まっていませんでした。ようやく家族室としての地位が定着して、まだ30~40年しか経っていません。

 

子供部屋もほぼ同時に生まれたました。居間よりは早く社会的地位を得ました。つまり子供の寝室としてです。でも勉強部屋、としてはどうでしょうか。親としては勉強部屋を与えたつもりでいるかもしれません。一人で静かに集中して勉強できるように、と願って。でも実際は違っていました。いわゆる受験の時期を迎えないと、子供は自分の部屋では勉強はしません。食堂のテーブルだったり、居間の床だったり、コタツの中だったり。誰もがそんな行動が記憶にあると思います。

 

そもそも、人間は一人で籠らないと勉強が出来ないものなのでしょうか。もしそうなら、学校なんて成立しないでしょう。図書館だと勉強が進むのは何故?現代では、スターバックスでコーヒーを飲みながらとか、マクドナルドでポテトをつまみながら、何て言うのも普通です。宿題は友達と相談しながらの方が早いし、新しいアイデアは会話の中から生まれることが多いのは、多くのビジネスマンなら経験済みのはずです。

誰かと一緒、誰かと相談しながら、或いは誰かに見られているから、勉強もできるのです。一人で静かに集中する人は、極わずかの天才たちだけでしょう。

 

居間が家族室ならば、そこは子供達にとっては勉強の場所でもあるはずです。テレビを見る場所ではありません。お父さんやお母さんは、高校生くらいまでは、子供が分からないところは見てあげるべきなのです。学校では分からなかった事はたくさんありますから、遅れないように見てあげるのが親の責任です。

 

茶の間は、そうした場所でした。遊びも勉強も、食事も団らんも、全てがなされる場所でした。正に、家族の部屋です。

その意味では、現代人はまだ、居間や子供部屋の使い方を知らないで50年が経過していると、私は思います。