伝統的住宅

リッチなリビングですが、さてど何処の国でしょう?
リッチなリビングですが、さてど何処の国でしょう?

女子学生と和服の話をしました。振り袖を着るのはいつか、和服を着たことがあるか、今後着ることがあるか、などなど、ざっくばらんな話です。着物を着る機会は、成人式というのが多く、続いて卒業式。正月は着ることがなく、結婚式にも振り袖は着て行かない様子です。ということは、生涯に最大2回という勘定になります。

確かに、お茶をやっているとか呉服屋に勤めているとか、特別な状況でなければ、日常の中では着ることは無いのかもしれません。そもそも、持っていないし着れない、とい前提もあります。つまり、母親から子供へという伝承が無いと言うことです。母親が着なければ子供も着る習慣はないでしょう。と言うことは、彼女らの子供もまた着ることはなく、その子供も、更にその子供も・・・

こうして日本の伝統的衣装である着物は、更に希少価値になっていくのでしょうか。

 

伝統的なものが失われているのは、着物だけではありません。住宅でも一緒で、特にこの傾向は世界的に広まっています。つまり、何処の国に行っても、住宅の有り様は似ている、と言うことです。実際、暑さや寒さから来る備えや敷地や建物の大きさに違いがあり、その為の見かけ上の違いはあっても、室内に入ると違いは更に薄れてゆきます。特にコンクリート製の集合住宅は、本当にどの国も似ています。もちろん、広さなどの違いはありますが、間取り、内装、設備などから国を判断することは難しいでしょう。その意味では、ファッションと似ているかもしれません。例えば、男性のスーツなどは、万国共通ですから。

 

文化の違いが身近で色濃く残っているのは、食の世界かもしれません。もちろん日本で世界中の食事が採れますが、家庭での料理はやはり日本です。そして世界各国、家庭料理にはその国の伝統が強く残っていると思います。どの国に行っても世界中の料理を食べられますが、家庭料理が伝統的であることはちょっと不思議です。何故ファッションや住宅のように中性化してゆかないのでしょうか、私には分かりません。

 

住宅を生業とし、住宅を研究し、住宅について教鞭を取っている私としては、住宅における伝統が日本において失われていくことに恐怖すら感じます。日本人全員が青い目になったら、やはり皆さんも怖いでしょう。そんな感じです。文化の交流が盛んになればなるほど、本来伝統は保存されるべきです。日本は日本であって欲しいのですが。